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亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

本当の愛って?

 

昨日の記事と多少重複する部分もありますが、今回は「本当の愛」というものについて思うところを少し書いてみます。

 

 

私は、「あなたは本当の愛を知らない」という旨のコメントをもらうことがたびたびあります。また、私に対してではありませんが、誰かがそういった発言をしているのを耳にしたこともあります。

今回も先に言っておきますが、私は本当の愛を知らないのかもしれません。
正確に言うなら、考えたことがないのでよくわかりません。

ただ、もし仮に私が「本当の愛」とやらを知っていたとしても、「私は本当の愛を知っている」などとは口が裂けても言わないでしょう。そんな恐れ多いことを口にできる人が存在すること自体が未だに信じられません。

 

「本当の愛」
果たしてこれはどういったものなのでしょうか?

とは言いながらも、今回は検索すらしていません。
なぜなら、まともな回答がネット上のどこかに存在するとは思えませんし、時間の無駄になることが明白だからです。
それに、そもそも「本当の愛とは何か?」を私は知りたいとも思いませんし、きっとそれを理解することもからです。
しかし、その代わりと言ってはなんですが、こういったことを口にする人間がどういった類の人間であるのかということに関してはある程度理解しているつもりです。

おそらく、こういった人たちは次のようなことも平気で言うでしょう。
「あなたは本当の死別を知らない」、「あなたは本当の苦しみを知らない」、「あなたは本当の悲しみを知らない」
もちろん、私にとってみればすべてどうでもいいことです。
ただ、こういった人たちにとってはこの点こそがものすごく重要なことであり、その違いにこそ自分の存在価値を感じるようです。

それにしてもこの「本当の」っていうのは具体的に何を意味しているのでしょうか?
納得できるかどうかは別として、いつか誰かに説明してもらいたいものです。

なお、少なくとも言えるのは、この言葉を口にする人間には「そう思いたい」願望があるということです。それはイヤというほど伝わってきます。そして「自分のほうが上だと認めてもらいたい」という気持ちもひしひしと伝わってきます。特に、この点は他人を貶めようしているところに顕著に表れているように思います。
どういうことかというと、もし仮にこういった人間が本当の愛や本当の死別などを知っていて、なおかつそれを他人に伝えたいというのであれば、本来は「私は本当の愛を知っている」と言うだけで事足りるはずです。にもかかわらず、そのあとには「でもあなたは知らない」という余計な言葉がなぜか必ずといっていいほど続きます。
おそらく、そうしないと気が済まないんでしょうね。そして、そこにしか自分の価値と思えるものがないのでしょう。その結果として、触れる必要のないところにまで触れてしまうわけです。

自分の考えを発信するだけでは満足できず、相手を貶めるところまでやらないと満足できないわけですから、おそらく自分に相当自信がないのでしょう。


ちなみに、こういった人間には言ってあげればいいんです、「あなたの言うとおりかもしれません、ところで本当の愛ってなんですか?」って。

基本的には承認欲求が人一倍強いタイプなのでしょう。だから、適当に承認してあげれば喜ぶはずです。なお、間違っても突っ込まないように(笑)
それを突っ込むとヒステリックになると同時に、烈火のごとく怒り出すはずですので、適当な対応をするのが一番です。


最後にもう一度言いますが、私は「本当の愛」が何なのかまったくわかりません。
ただ、もし私が「本当の愛」を知っていたとしたら、それを示すべき相手はただ一人、私の大切な人だけです。
ですから、関係のない人に対して死に物狂いで対抗する必要もありませんし、ましてやそれを自慢する必要もありません。
ただ大切な人を想い、大切な人の願いを汲んで生きる。
それでいいはずです。

というわけで、こういった場面に今後遭遇するようなことがあっても、みなさんは間違っても傷つくことのないようにしてください。「正気ですか?」ぐらいの気持ちで聞いてあげるのがちょうどいいと思います。

 

 

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