亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

頂いたコメントへの回答

 

今回は、頂いたコメントへの回答となります。

 

通りすがり様

2001さんは本当に愛をしったのですか? 恋だったのではないかとわたしは思わずにはいられません 意見はスル~? 誤解される事が腹立つという感情もありませんか? 

 

はじめに、私自身「恋」だの「愛」だのと考えたことはほとんどありません。
なぜなら、そんな機会は今まで特にありませんでしたし、そもそもこの区別が私にとってはどうでもいいことだからでしょう。とはいっても、コメントを頂いたので、ついでに少し調べてみました。

以下は別サイトからの抜粋になります。
 

  • 「恋は自己満足、愛は自己犠牲」
  • 「恋『この人のために死ぬ』、愛『この人のために生きる』」
  • 「恋は自分のため、愛は相手のため」
  • 「恋と愛は違います。恋から愛に変えるにはどうしたらいいかって?相手のことを考えてあげるんだ。相手がどうして欲しいのかを考えるんだ」

<https://matome.naver.jp/odai/2134166671986505801>

 

「愛」という漢字は、真ん中に「心」があるので真心からはじまると言われています。
真心とは、相手を思い遣る心、真実の心、偽りや飾りのない心、誠意です。
愛とは自分本位ではなく、相手のことを考えた上で行動ができることだと思います。

  <http://love-technique.net/entry20.html>

 

概ね他のサイトもこんな感じでした。

ちなみに、通りすがり様は何をもって私が愛を知らないと言っているのでしょうか?
そう判断した理由を教えて頂けると助かるのですが、それがなかったためなかなか回答しづらいところです。

もしかしたら、私が結婚していなかったという一面を捉えておっしゃているのかもしれませんね。
もしそうであるなら、確かに私は愛を知らないのかもしれません。
しかし、結婚しているのに自分本位の人間もたくさんいらっしゃいます。上の引用によると、こういった方々のは「愛」ではないということになるわけですから、少なくとも結婚しているかどうかが基準にならないということは言えるのでしょう。それに、そもそもこんな時代にもなって結婚を基準に愛だの恋だの言う人もあまりいないと思いますので、これは私の考え過ぎかもしれませんね、失礼しました。

なお、期待はずれかもしれませんが、私はこの議論に結論を出すつもりはありません。
なぜなら、私にはよくわからないからです。
「恋」と「愛」の区別も、これらを区別しようとする気持ちも…。

ただ言えるのは、私はこれからも大切な人のために生きようと考えていますし、大切な人のことを考えた上で行動しようと心がけているということです。
もし、そんな私を「愛を知らない」と言いたい方がいるのであれば、それはもうお好きにどうぞとしか言えません。
私ははっきり言ってどちらでも構いません。

最後に、誤解されることに腹が立たないかということですが、全然腹は立ちません。
なぜなら、私にとって気にならない人間だからです。そういった人間に誤解されても、当然気になることはありませんし、腹が立つこともありません。この点に関しては、通りすがり様もご自身のことに置き換えて想像なさればすぐにわかると思います。
もちろん、自分が大切に思っている人間に誤解されてしまったのであれば話は別です。
この場合は私も一生懸命弁解しようとするはずです。また、誰かの悪意を原因として生じた誤解などであった場合も、何かしらの対処をしようとするでしょう。ただ、そうでないのなら、やはりどうでもいいことです。
おそらく、こんな感じで考えている人は世の中に多いのではないでしょうか。

その上で、もし自分の言葉が足りないせいで誤解を生んだと感じるのなら以後気をつければいいわけですし、逆に、どれだけ言葉を尽くしても真意を理解してくれないだろうと感じるのであればほっとけばいいだけの話です。

こんな感じの回答でいいでしょうか?
心配してくださったのかもしれませんが、細かいことをその都度気にしていたら疲れてしまうと思います。通りすがり様も気楽に考えてみてはいかがですか?

 

 

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