亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

なぜ残された人間が悲しむのか?

 

なぜ残された人間が悲しむのか…

たまにこんなことを考えます。
というのも、「本当に悲しいのは亡くなった人間のはずなのに」と思うからです。


まだまだ生きたい、やり残したことがある、守りたいものがある…

いくらこんなことを考えていたとしても人生には幕が降ろされてしまいます。
ですから、亡くなる人間の悲しみというのはおそらく大きいのでしょう。
さらに、ただただ勝手なタイミングで強制的に幕が降ろされるわけですから、別れを伝えられないままというケースや、お礼の一言すら言えないままというケースも多いと思われ、そういったことがより一層故人の悲しみを大きくするのかもしれません。


しかし、人生を奪われた故人と比較して考えてみると、残された人間というのは何をそこまで悲しむのでしょうか…?

私自身もいろいろと悲しんだ経験があるからこそ、こんな些細なことがなぜか引っかかります。

大切な人を亡くしたわけですから、残された人間だってもちろん悲しみを感じますし、それは当然のことです。ただ、「もしかしたら亡くなった本人よりもはるかに悲しんでいるのでは?」と感じるほど悲しむ人間がいるのはなぜでしょう…?

あくまでも私の意見ですが、そこには「大切な人にもう会えないから悲しい」といった自然な感情とは別に、悲しみに拍車をかけるような何か特別な感情が存在しているような気がしてなりません。

そして、その感情のひとつが自分自身をかわいそうと思う感情であるように思います。
すなわち、「大切な人を亡くした自分、最高にかわいそう」という感情です。
こういった余計な感情が、残された人間の悲しみを必要以上に大きくしているように感じます。

当然、当時の自分にもこういった感情はあったはずです。
だからこそ、自分が世界で一番不幸だと思えたのでしょう。

あまり上手くは言えませんが、死別して悲しいという感情の何割かは「自分がかわいそう」という感情な気がします。だからこそ、そういった感情の占める割合が多い人間は「かわいそうに」といった方向性の話しか受け付けないのでしょう。
そんな感情は絶対にないという方もおそらくいらっしゃるかもしませんが、程度の差こそあれ多くの人に内在している感情であると思いますし、きっとそういう方はただ単に気付いていないだけなのかもしれません。


いずれにしても、故人よりも残された人間のほうが悲しむというのはちょっと理解しがたい気がします。
故人がどれだけ悲しんでいるか実際にはわからないからこそ、答えの出ないこういったことを考えて自分を見つめ直してみるのもいいのかもしれません。

 

 

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