亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

申し訳なく感じる必要はあるのか

 

先日、大切な人以外を好きになるということと題して記事を書きましたが、今回はそれに絡んだ内容です。

 

sms2001.hatenablog.com

 

死別を経験すると、もう自分は幸せになってはいけないと考えたりするものです。
少なくとも、私の場合はそうでした。
そして、「一生ひとりでいなければ」と誓ったわけです。

しかし、徐々に悲しみが癒えてくると、そんな私にも気になる人が現れます。
これは自分の誓いと相反することなのですが、勝手に芽生える感情である以上どうしようもありません。

さて、こんな時みなさんだったらどうしますか?
今はとてもじゃないけど考えられなくても、もしかしたらこれから先みなさんにもこういった場面が出てくるかもしれません。

ちなみに、私の結論は「自分の感情に素直になるべき」というものなのですが、それをすぐには許せないような心の葛藤があると思いますので、その点を少し考えたいと思います。


先日の記事にも書きましたが、「一生ひとりで生きる」と自分で勝手に誓ったことはハッキリ言ってどうでもいいんです。
これは、自分を許してあげればいいだけの話ですので。
また、大切な人に対して申し訳ないという気持ちも、自分で勝手に考えていることである以上さほど問題にはなりません。
なぜなら、自分自身の気持ちの整理さえつけばその部分に関しては解決できるからです。

問題になるのは、「相手に対して申し訳ない」と感じる感情です。
相手が登場したからには、何もかも自分の考え方次第というわけにはなかなかいきません。
当然ながら、相手の気持ちを尊重する必要があります。

では、相手の気持ちを考えてみましょう。
果たして、亡き人を大切に想うあなたを相手は失礼だと思うでしょうか?

これははっきり言ってわかりません。
亡き人にやきもちを焼く人間だっているでしょうし、まったく気にならないという人間もいるでしょうから。

そうであるなら、相手の気持ちを本人にきちんと確認すればいいだけの話です。
相手がどう思っているのかも確認せずに、勝手に相手に対して申し訳ないと考える必要なんてありません。

以前どこかに書いた気がするのですが、私も、相手に対して申し訳ないと思っていた人間です。
自分の状況を考えると、そう考えるのも無理はなかったのかもしれません。
しかし、新たな人、つまり相手にそのことを伝えたところ、次のような返事が返ってきました。

「亡くした相手のことをいつまでもしっかりと考えてあげられる優しさがあるからこそ、私はあなたを選んでいる。だから、そんなことを気にする必要はないし、私はそんな小さな人間ではない」

この返事を聞いて、私は正直ショックを受けました。
それは、「細かなことにこだわってなおかつそれを気にしていたのは自分自身であり、目の前にいる相手は私をはるかに上回る大きな心で私に臨んでくれていた」ということに気付いたからです。
相手を「そういったことを気にする人間」と考えていたのは、他でもない自分自身だったわけです。
この点こそ失礼であり、亡き人を大切に想うことなどその人にとってはまったく失礼ではなかったというこです。


確かに、こんな心の大きい人間ばかりではないのかもしれません。
でも、相手に確認してみなければ何もわかりません。
せっかく前を向こうとした気持ちに自分でブレーキをかけたり、その芽を自分で勝手に摘み取ってしまうのはあまりいいことだとは思えません。

死別経験者にとって、新たな恋愛は難しいことなのかもしれませんが、死別がそれを難しくしているわけではない気がします。
きっと、死別によって頑なになった「自分」が難しくしているだけです。

新たな道を行っても、誰にも責められることはありません。
大切な人だってきっと背中を押してくれるはずです。
ですから、進める時がきたら自分の本当の心に素直に進んでいきましょう。

 

 

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