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亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

死にたいということについて

 

過去に何度か触れたように、私は後追いをしようとした経験があります。
時期はハッキリ覚えていませんが、確か死別後1年~2年ぐらいの頃だったと思います。
当然のことながらその時は「死にたい」と思っていたわけですが、今回はこの「死にたい」と思う時の心境について少し考えてみたいと思います。

 

 

おそらく、みなさんの中にも「後追い」を考えた方はいらっしゃるのではないでしょうか?

仮に後追いほど具体的でなかったとしても、「死ねたら会えるのにな…」ぐらいであれば多くの方が考えることでしょう。そして中には、今まさにそのようにお考えになっている方もいらっしゃると思います。


ではひとつ質問です。


あなたが「死にたい」と考える時、それは「大切な人に会えるから死にたい」のか、「この苦しみから抜け出せるから死にたい」のかどっちですか?

ご自身の心境をよく思い出してみてください。
さぁ、どうでしょうか…?

たぶん、多くの方が前者を答えとしながらも、ご自身の心の中に後者の感情も存在していることに気付くのではないでしょうか…。

私は、「死んで会いたい」と考える人間は誰しもがこの2つの感情を持っていて、人によってその割合が異なるだけだと考えています。
ですから、人によっては後者を答えに選んだ方ももしかしたらいるのかもしれません。

ただ、後者の「この苦しみから抜け出したい」という理由は、非常に自分本位に聞こえてしまうものでもあります。特に、「大切な人に会うために」といった理由と比較されてしまった場合、その差は歴然です。それに、人生半ばにして亡くなった大切な人のことを考えると、軽々しく口に出せるようなものでもありません。
そのため、多くの人はこの理由を隠し、あたかも大切な人への一途な感情しか持ち合わせていないように振る舞うことになるのでしょう。

もっとも、どんな理由であろうと、「死」を選ぶことはよくありません。


よくよく考えると、「すぐにでも死にたい」と思うこと自体、故人に顔向けできないようなことです。
しかも、当時の私は、それをすべて「大切な人に会いたいから」という理由でごまかしていたような気がします。
本当は自分を苦しみから解放してあげたかったのかなと、今になってみるとそんな気さえすることがあります。


上手くは言えませんが、こういった自分の本心に気付いた時、はじめてそれを見直すチャンスが生まれるような気がします。
ですから、「大切な人に会うために」といったキレイな理由で「死にたい」ことを正当化してばかりでは、ずっとそれに気付かないのではないでしょうか…?

「故人に会いたいから死ぬのではなく、自分を守りたいから死のうとしているのではないか」
故人に会うために死にたいと考えている方は、たまにこんな問いかけを自分自身にしてみてもいいのかもしれません。

いずれにしても、どこかでスイッチを切り替えて「故人にいつか笑って会うためにしっかり生きていく」という姿勢になることが大切です。

改めて言うまでもありませんが、故人があなたに対して死んでほしいと思っていない以上、死にたいと思うのはすべて自分本位な考え方です。逆に言うと、だからこそいくらでも変える余地が残っています。
どこからでも遅くないと思いますので、生きて何かできないか、そこに目を向けられることを願っています。

 

 

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