亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

時間が薬になる、それだけじゃ足りない

 

時薬や日にち薬という言葉をご存知ですか?。

これは、日が経つことで病状が快方に向かっていくこと、つまり時間が薬の役割を果たすということを意味する言葉です。

この言葉や考え方は、病気などに限らずさまざまな場面でも用いられますので、おそらく多くの方が知っていることでしょう。

そしてこの言葉は、ご存知のとおり死別に関する場面でも頻繁に登場します。

もちろん、死別の場合であれば、「その深い悲しみが癒えるためには時間がかかる」という意味合いで使われます。

ただ、死別による苦しみや悲しみといったものにまで効くとされる時薬ですが、私には少し心配な点があります。
それは、果たしてこの薬に頼り切ってしまっていいのかということです。


「死別の悲しみは時間がたたないと癒えない」
「死別の悲しみは時間が解決してくれる」

これはよく言われることですし、多くの方がある程度は納得していることでしょう。
しかし、この言葉を盲信してしまうのは非常に危険な気がします。

なぜなら、時間以外に解決する方法がないと考え始めてしまうからです。

考えてみてください、もし「死別の悲しみは時間がたたないと癒えない」と言われてしまった場合、時間がたたない限り悲しみはどうにもならないと思ってしまいませんか?

死別界隈では、「時間がたたないとどうしようもない」「すぐに立ち直るのは無理だよ」「~するのにはまだ早い」といった発言を多く目にします。
これはある意味で時間の経過に期待している発言といえるものであり、時薬を有効と考えている発言と言っていいでしょう。
しかし、こういった考え方は、果たしてベストなのでしょうか?
また、すべてを時間まかせにしてしまっていいのでしょうか?

もし、時間がたたない限りどうにもならないのであれば、そのあいだは何をやっても意味がないと考えるのが普通でしょうし、本来なら必要なはずの「努力」もしなくなる可能性があるでしょう。
また、時間が経たない限りこの苦しみがずっと続くという「絶望」を与えてしまう可能性だってあります。

さらに、余りにも時薬に頼り切った考え方をしてしまうと、時間が経たないうちの援助や手助けがタブー視されかねません。なぜなら、そういう人間は時間だけが有効であり、それ以外の援助や手助けはなんの役にも立たないと思い込んでいるわけですから。

こうなってしまうのはさすがに良いこととは言えないでしょう。


時間の経過が悲しみを癒してくれるのは間違いありません。
ですから、確かに「時間」は重要です。
しかし、その「時間」に頼るだけでなく、その「時間」を短縮するための方法も同時に模索しなければいけません。
そのためには、おそらく本人の努力なども必要となるでしょうし、周囲からの援助や気付きも必要なのだと思います。
そして、「時間」と、こういった「努力や援助」によってはじめて、想定された時間よりも早い立ち直りが実現できるのかもしれません。

限られた人生ですから時間は有限です。
少しでも有意義な状態で少しでも長い時間を過ごすために、時間に頼るだけでなく積極的に立ち直りへの模索を続けたいものです。
「大切な人が生きられなかった人生を、精一杯有意義に生きる」
それが亡き人に報いるということだと思いますし、残された人間のあるべき姿なのではないかと私は考えています。 

 

 

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