死別を経験して、生きる意味がない、生きる意味が見つからないといった方は結構いると思います。
私もそんな人間のひとりでした。
大切な人がいなくなり、悲しみに沈み、途方に暮れる…
そして、そんな時に思うわけです。
「生きる意味は?」
これについては、人それぞれいろいろな意見や考え方があると思います。
逆に言うと、いろいろな意見が出てしまうぐらい難しい問題であるとも言えるわけです。
また、誰もその正解を知らないという意味では、答えのない問題と言っていいのかもしれません。
なのに、なぜ多くの人は生きる意味を気にするのでしょう?
ここで、死別を経験する以前のことを思い返してみましょうか。
当時、みなさんは生きる意味を気にしていましたか?
当時、みなさんは生きる意味を見つけていましたか?
私はこんなことを気にしたことはほとんどありませんでした。
仮に気にしたことがあったにしても、その記憶はほとんど残っていませんし、覚えていないぐらいですからやはり気にしていなかったのでしょう。
そんな私にも、生きる意味を考えた時期がありました。それはもちろん死別を経験した直後です。いろいろなことを考え、また、ものすごく悩んだことを覚えています。ただ、もともと答えのない問題ですから、いくら考えてもスッキリした答えが出てくることはありません。
そんな昔の自分にも質問したいと思います。
生きる意味ってそんなに気になりますか?
答えのない問題をそんなに考える必要がありますか?
ひどく乱暴な言い方になってしまいますが、生きる意味なんてたぶん気にしなくていいんです。
それを考えることが苦痛を生むのであれば、なおさらです。
考えてもみてください、昔だって生きる意味なんか気にせずに生きていたわけです。そうである以上、死別したからって急に生きる意味を考えるというのもどこかおかしな話です。そしてなにより、それは答えのない問題です。
そもそも、生きる意味があってもなくても生きていくわけですから、答えの出ないことをいつまでも考えても時間の無駄です。そんなことで悩むのは、自分を「生きる意味が見つけられない人間」としてマイナスにとらえることにつながりかねません。
もっと楽に考えましょう。
なお、念のため書いておきますが、生きる意味がわからない人の中には「死」という選択肢を思い浮かべる方がいらっしゃいます。
しかし、亡くなった大切な人はそんなことは望んでいません。
これだけは、生きる意味なんかより遥かに確かなことでありますので、くれぐれも間違えることのないようにしたいものです。
↑ いつもありがとうございます。クリックして頂けると、励みになります!