死別を経験した人間に対して、周囲の人間は非常に気を遣います。
本人を傷つけたくないという気持ちがその主な理由であり、それはまた人間の優しさに基づく感情でもあるのでしょうから、基本的には素敵なことだと思います。
ただ、行き過ぎていると感じる時がたまにあります。
確かに、死別経験者は深く傷ついており、気を遣うべき対象であることに間違いはないでしょう。しかし、必要以上に気を遣ったり、必要以上に大事にしようとするのは果たしてどうなのか…
こんな時に思うことがあります。
それは、本当に大事にされるべきなのは亡くなった方のほうではないのかということです。なぜなら、死別経験者本人にとって大切なのは亡くなった方であり、そうであるなら、亡くなった方をもっと大事にしてくれることのほうが、本人にとっても喜ばしいことのような気がするからです。
もっとも、死別経験者本人を大事にしなくていいと言っているわけではありません。どちらも大事なのは重々承知の上で、ただ、もっと故人にスポットを当て、故人を大事にする比率を高めてはどうかと言いたいだけです。
そうすることで、今よりもずっと死別経験者に声をかけやすくもなるでしょうし、もしかしたら死別経験者本人の立ち直りも早まるかもしれません。
たとえば、故人を大事にする人間が増えれば、死別経験者本人に対して故人を主語にして声をかける人間が増えるはずです。
「あの人はいい人だったね」
「あの人が今もどこかで元気でいるといいね」
こういった声のかけ方であれば、死別経験者が傷つくことはなかなか考えづらいでしょうし、なにより、自分の大切な人のことを大事に思ってくれるのは非常に嬉しいものです。
また、故人を今以上に大事にする傾向が強まれば、死別経験者本人が自分を特別視することも少しは減るだろうと考えられるので、本人も必要以上に悲観的にならなくて済むと思います。これは、もしかしたら本人が早く立ち直ることにつながるのではないでしょうか。
とはいっても、あくまでも私の意見ですので、実際にどうなるかはわかりません。
ただ、大切な人が亡くなったところからすべてが始まったことは事実であり、故人を大事に思うことこそ私たちの原点であるということは忘れたくないものです。
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