亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

死別の悲しみは本当に時間がたたないと癒えないのか

 

「死別の悲しみは時間がたたないと癒えない」

 

これはよく言われることですし、多くの方が納得していることでしょう。私自身、長い時間がかかってようやく立ち直ることができたわけですから、時間の持つ効果や重要性についてはある程度理解しているつもりです。

 

しかし、この言葉を盲信してしまうのは少し危険な気がします。

 

というのも、この言葉にはなにか諦めに似たものを感じてしまうからです。時間がたたないとどうしようもない、という諦めです。

 

大切な人と死別して悲しんでいる人間が目の前にいたとしましょう。 

  • もし「死別の悲しみは時間がたたないと癒えない」と考えるなら、この人間は積極的に立ち直ろうとするでしょうか?
  • もし「死別の悲しみは時間がたたないと癒えない」と考えるなら、この人間に対して立ち直ってもらうための働きかけをすることに意味はあるでしょうか?

おそらく、どちらもNOです。

なぜなら、このような人間たちとって、時間の経過に関係しないことはすべて無意味ですから。

 

これに似た光景を死別に関する「遺族会・ブログ」などで目にすることがあります。

誰も積極的に立ち直ろうとしない、誰も立ち直ってもらうための働きかけをしない…

そんな光景です。

 

果たして、これは理想の姿なのでしょうか?

 

「死別の悲しみは時間がたたないと癒えない」と考えている人間は、時間がたたない以上何をやってもムダだといった雰囲気を醸し出し、そういった発言を繰り返します。

こういった方々は、自分から立ち直ることを諦めてしまっていると言えるでしょう。

もしかしたら、立ち直るためには時間が必要だという話と、その時間をできる限り短くするためにはどうすればいいかという話の区別がついていないのかもしれません。

 

言うまでもありませんが、この2つの話はまったく別の話です。ですから、10年かかるところを5年に、5年かかるところを1年に、こういった努力は常になされなければいけません。大切なのは、時間の経過を待ちながらも、その時間を出来る限り短くする努力をするということです。

 

なお、こういった努力は本人によってなされるべきものでもありますし、周囲の人間によってなされるべきものでもあるわけですが、非常にデリケートな問題につき、なかなか難しいというのも実情でしょう。死別後の非常に不安定な心情を考えると無理もありません。しかし、立ち直る期間を少しでも早めるためには、避けて通ってはいけない問題でもあるはずです。

 

ちなみに、私の場合はこういった努力を何もしませんでしたので、立ち直るまでにものすごく時間がかかりました。これは自分でも深く後悔していることです。もし当時の自分に立ち直るための努力が出来ていたなら、間違いなくもっと早く立ち直れたことでしょう。一方で、一人ではそのことに気付くことが難しかったことも痛感しております。そういった意味では、本人にそのことを気付かせるためには、周囲の人間の努力も同様に大切なのでしょう。

 

時薬という言葉があるぐらいですから、確かに時間は重要です。また、時間が経過することによって悲しみが癒え、立ち直っていくことも事実です。しかし、時間だけが悲しみを癒す手段かと言うと決してそんなことはありません。それどころか、時間にすべてを任せてしまうことは、立ち直るまでの時間を延ばしてしまうことにもつながりかねません。

 

時間にすべてを任せてしまうのは簡単ですし、なにより楽です。基本的に何もしなければいいわけですから。周囲の人間にとってもそれは同じことでしょう。死別経験者を放置しておくか、悲しみに同調していればいいだけの話です。

 

ただ、もし本当に立ち直りたい、もしくは立ち直ってもらいたいと考えるのであれば、積極的にいろいろな努力をすることが必要です。

それが死別経験者と周囲の人間に課された課題なのではないでしょうか。

 

少しでも早く立ち直ってもらえることを願っています。

 

 

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