亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

立ち直ることは怖くない

 

立ち直ることは、大切な人を忘れてしまうことではありません。

 

なぜこんなことを書くかというと、このような風潮を感じることがよくあるからです。そして、この風潮が思わぬ弊害、つまり引きずる人やいつまでも立ち直れないでいる人を生んでいるようにも思えるからです。

 

今思えば、当時の私は完全にこのように考えていました。

 

それだけでなく、悲しみ続けることこそ故人への愛情を示す行為であると考えていましたし、その期間が長ければ長いほど愛が大きかったことを示すとも考えていました。

まだまだあります。

愛が深ければ深いほど悲しむ度合いも強いはずであると考えていましたし、人生を最後まで一人で生きていくことこそが故人への忠誠を示すことになると考えていました。

 

一見すると、これらの考え方は一途な感情を表しているように思えますし、なんなら美談につながりそうな気さえしてきます。しかし、本当に大切なことが立ち直ることである以上、あまり褒められた考え方でないことに間違いはありません。

 

なによりも、これらの考え方には「裏を考えてしまう」という危険が潜んでいます。試しに裏を考えてみましょうか。

  • 悲しまないということは故人への愛がないということ
  • 悲しむ期間が短いということは愛が少なかったということ
  • 大して悲しまないということは愛が深くないということ
  • 誰か別の人間を好きになるということは故人を裏切るということ 

死別直後の人間が聞いたら、「どんなことがあってもこんな風には言われたくない」と感じることばかりです。つまり、裏を考えてしまうと「悲しみ続けなければ…」といった思いを強めてしまうことにつながってしまうのです。

 

しかし、ここできちんと理解しておいてもらいたいのは、もともとの考え方自体が間違っており、それは大きな錯覚を原因としているということです。

 

その錯覚がこれです。

「想い続ける=悲しみ続ける」

 

本来であれば、この二つがまったく別の行為であることは誰もが理解できることです。ただ、この等号が成り立つように感じられる時期がわずかながら存在します。それが、死別直後に訪れる「故人のことを想えば想うほど悲しくなる時期」です。この時期がおそらくこのような錯覚を生んでおり、この錯覚に私自身も長い間苦しめられることになりました。

 

今となっては、それがただの錯覚であることを断言できますし、もし今でも「想い続ける=悲しみ続ける」と考えている方がいたら、以下のように伝えておきたいと思います。

 

悲しまなくなることと想い続けることはまったくの別物です。ですから、悲しみが少しずつ減ってきたとしても自分を責める必要はありませんし、故人のことを忘れてしまうのではないかと怖がる必要もありません。悲しみの感情が薄れ、立ち直ったと言えるような状態であっても、しっかりと故人を想い続けることはできます。だから安心して立ち直ってください。くだらない錯覚があなたの立ち直りを遅らせないことを願っています。

 

 

 

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