亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

われわれは先駆者なのではないだろうか

 

少数派か?

 

あなたは、死別を経験した自分を少数派だと思いますか?

 

いきなりですので、何をもって少数派とするのかという問題もありますが、ご自身がいま感じているままに少し考えてみてください。なお、答えは最後までとっておいて結構です。

 

少数派であるかどうか、これはどの視点で考えるかによって決まります。というのも、コインの表と裏と似たようなもので、一つの死別には両方の側面があるからです。したがって、少数派と考えれば少数派でしょうし、多数派と考えれば多数派となるわけです。

 

私の例で考えてみましょう。私は24歳の時に交際相手と死別しました。この年齢での死別という点で考えればおそらく少数派ということになるでしょう。しかし、年齢を考慮せずに愛する人との死別という点だけで考えれば、多数派と言っても問題はないはずです。なぜなら、愛する人との死別はほぼすべての人間がいつか経験することですから。

 

別の例も考えておきましょうか。たとえば何百万人に一人という珍しい病気によって命を落とした場合、この病気に焦点を当てて考えるなら間違いなく少数派です。しかし、死別という点だけで考えた場合、それはやはり誰もが経験することであり、そういった意味では多数派と言ってもいいでしょう。

 

このように、考え方次第で少数派なのか多数派なのかは決まります。

 

なぜ私がこのような話をするかと言うと、ご自身のことを少数派と考える方がどうも多いように感じるからです。ご自身を少数派と考えることが悪いことだとは言いません。しかし、死別に関して言うと、この認識はマイナスの感情しか生み出しません。なぜなら、自分を少数派だと考えた場合、そこに残るのは「なぜ自分だけが…」という感情だからです。この感情の先にプラスの言葉が続くことは非常に考えづらく、下手をすると周囲への憎悪の感情にさえつながりかねません。

 

考えてみれば当たり前のことですが、少数派であることがプラスに働くのはそこに価値があってはじめて成り立つことです。しかし死別の場合、少数派であることに価値はありません。これは、死別そのものに価値がないことを考えても当然の話です。

  • あんなに珍しい死別を経験出来てよかったね…
  • みんなとは一味違った死別でラッキーだったね…

こんなことには決してなりません。それどころか、この希少性は確実にマイナスに働きます。その結果が、先ほど触れた「なぜ自分だけが…」という考え方です。そしてこのマイナスの考え方は、本人のみならず周囲にもマイナスの影響を与えます。そう考えると、自分を少数派だと考えるのはやはりあまりいいことではないのかもしれません。ですから、ご自身を少数派だと考えがちな方は気を付けるようにしてください。

 

とはいっても、こんな簡単には考えられないという方もいらっしゃることと思います。そこで、ここからは私なりの考え方をお伝えします。気が向いたら参考にしてください。

 

横に考えない、縦に考える

 

なぜ自分だけが…

 

これは私も考えたことです。というより、当時はこういうことばかり考えていた気がします。無理もありません、周囲にそんな経験をした人間はいませんでしたから。それに当時は、遺族の集い・ブログ・掲示板といったものの存在も知らなかったため、似たような経験をした人間に出会う機会もありませんでした。要するに、私にとってみれば、そんな経験をしたのは私だけだったんです。

 

今となって思うと、この時の私は横に考えていました。どういうことかというと、その時代の中でしか考えていなかったということです。つまり、交際相手と死別した2001年に生きていた人間の中だけで考えていたということです。

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上のグラフを見ていただけると多少理解しやすくなるかもしれません。

現在の線の上にある赤い点があなたです。

ご覧いただいてわかるとおり、現在という横のラインで見ると赤い点は唯一あなただけです。これは、あなたが現在における少数派であることを意味します。先ほどの話で考えるなら、あなたと似た死別経験者がいないということです。

しかし、過去から未来へとつづく縦のラインで見ると、赤い点はたくさん並びます。これは、過去にはあなたと似た経験をした人間が何人もいて、これから先もそういった経験をする人間が何人も出てくるということを意味しています。

 

つまり、過去と未来を含めて考えた場合、あなたと似たような死別を経験する人間は決して少なくないということです。もし自分を少数派と考えて「なぜ自分だけが…」と苦しんでいるのであれば、過去と未来まで含めて「自分だけじゃない」と考えてみてもいいのではないでしょうか。そして、「自分だけじゃない」と考えられるようになれば、周囲の環境を呪うこともなくなりますし、マイナスの感情に苛まれることも少しは減ることでしょう。それはなにより、あなた自身と周囲の人間にとってプラスになると思います。

 

なお、本当に考えてもらいたいのはこの先です。

 

グラフの縦のラインをもう一度見てください。あなたを表す赤い玉から見て、未来に向かって赤い玉が連なっていくことがわかると思います。これはどういうことか…?

 

これは、あなたが先駆者であることを意味しています。

 

確かに、現時点であなたは少数派かもしれません。しかし未来を考えた時、あなたと似た死別を経験する人間は次々と出てきます。これは先ほども触れたとおりです。このように考えると、そういった未来の人間よりも一足早く過酷な死別経験をした人間、それがあなたであり、その状況はまさに先駆者と言えます。正確に言うなら、「あなたが経験したタイプの死別における先駆者」です。

 

では、先駆者であるあなたはどう考えるべきか?

 

この状況をただ単に嘆くのか、それとも前を向くのか、もちろんそれはあなたの自由です。しかし、あなたと似た死別を今後経験するであろう人間の気持ち、それを一番理解できるのがあなたであることに間違いはありません。またそうである以上、そういった人間に寄り添って立ち直りを支えることができる人間、おそらくそれもあなたです。そのために必要なこと、それは、なによりもまずあなたが立ち直ることです。

 

少数派と考えるか、先駆者と考えるか。

 

考え方ひとつで大きく状況は変わります。そうであるなら、私は先駆者でありたいと思いますし、あなたにもそうあってもらいたいと願います。

 

このように書いてきましたが、実際に何か行動を起こせと言っているわけではありません。少しでもマイナスの意識が減って、少しでもあなたが立ち直りに近づくのであれば、それで十分です。ただ、もし意識が変わらなかったとしても、次のことだけは覚えていてください。

  • あなたが今それほどまでに苦しい思いをする理由は、あなたが先駆者だからということ
  • あなたが今している経験には計り知れないほどの価値があること

 

大切な人を亡くすと、生きる気力がなくなるものです。なんのために生きているのか、なんのために生きていけばいいのか、そういったこともわからなくなります。ただ、その絶望の時間にさえ間違いなく価値があります。もう一度言っておきますが、あなたは先駆者です。あなたの後には、あなたと似た経験をする人間がどこまでも続きます。 未来の人間たちを引っ張るためにどこまでも駆けていくのか、それとも馬から降りてみんなといつまでも泣くのか、それはあなた次第です。

 

最後に

 

誤解されるかもしれませんが、私は24歳で死別を経験して良かったと思っています。

なぜなら、立ち直るまでに時間がかかったにもかかわらず、私にはなお残された時間があるからです。これはすなわち、未来の死別経験者に対してより多くのことが出来ることを意味します。

若くして死別を経験された方はどうしてもマイナスに考えがちですが、その反面、残された時間で出来ることが多いことも事実です。

起きてしまったことは仕方ありません、ゆっくりでもいいんです、前を向いていきましょう。

 

 

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