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亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

理想の悲しみ方というものは存在するのか?

 

 

「理想の悲しみ方」

 

この言葉をどうとらえるかは人によって異なると思います。

というわけで、まずはこの部分について整理するところから始めましょう。

 

おそらくですが、とらえ方には二通りあると思います。

 

一つは、最も早く立ち直るためにはどう悲しむべきか?という意味での理想の悲しみ方。 

もう一つは、どのように悲しむのが一番美しいのか?という意味での理想の悲しみ方。

 

みなさんはどちらを頭に浮かべましたでしょうか?

 

念のためそれぞれに説明を加えておきます。 

前者は、立ち直りまでの期間を最短にするための悲しみ方と言い換えることもできます。

死別について考える時、いかに早く立ち直るかということが、最も重要なテーマのひとつであることは間違いありません。

また、すこしでも早く立ち直るということは、なによりも優先されるべきことでもあります。

したがって、もしこの意味における理想の悲しみ方が存在するのであれば、死別経験者はそれをすぐにでも学ぶべきです。

ただ実際は、いまだに確立された悲しみ方がないようですので、引き続き研究者を筆頭にしてみんなで追求していく必要があるでしょう。

 

次に後者ですが、こちらはコンテストのようなものをイメージするとわかりやすいでしょう。

要は、どのように悲しむのが一番カッコいいのか、一番素敵なのか、一番けなげなのか…ということです。

とはいっても、こちらに関しては本来考える必要もありませんし、考える価値さえないと言っていいと思います。

なぜなら、悲しみが人それぞれである以上、悲しみ方を比較することには無理がありますし、そもそも比較できるものでもないからです。

 

さて、そうは言っても現実はどうでしょうか?

 

ということでここからは、本来であれば考える必要のない「後者」について考えてみたいと思います。

なお、混同を避けるために、この先は、前者を「早く立ち直るための悲しみ方」、後者を「美しい悲しみ方」と表現します。

  

美しい悲しみ方とは

 

みなさんに質問させてください。

胸に手を当て、しっかりと考えてもらいたいのですが、

「ご自身にとって、美しい悲しみ方というものは存在しますか?」

「もし存在するのなら、それはどのような悲しみ方ですか?」

 

  • 悲しみ方なんて比較するものじゃない
  • 悲しみ方なんて人それぞれ

このような優等生的な考え方は一旦すべて取り払って、心の奥底に語りかけてみてください。

いかがでしょうか…?

 

なぜ、このような質問をするのかというと、こういったことを考えていそうな人に出会うことが増えてきたからです。

すみません、少しわかりづらいですね。

簡単に言うと、「たぶんこの人は、自分なりの美しい悲しみ方という基準を持っているんだろうな…」と感じる場面が多くなってきたということです。 

 

こういった人間は、

「美しい悲しみ方というのはこういうものだ」

「悲しむなら、このように悲しむべきだ」

といった考えや基準を持っています。

ただし、誰かに対してこういった発言をすることは基本的にありません。

言ったところで、バカだと思われるのが関の山ですから…

ただ、逆に言うと、このバカさ加減に気付いていない人間は、そういった言動をとってしまうとも言えます。

そして残念なことに、無意識のうちにこういった言動をとってしまう人間が実際にいるわけです。

 

押し付け

 

やっぱりいるんですね、こういった方々が…

 

だからこそ、死別に関する「遺族の集い・ブログ・掲示板」などで、意味のわからない争いが起きたりするのでしょう。

こういった方々に共通するのは、自分の悲しみ方を「美しい悲しみ方」と信じてしまっているばかりでなく、あろうことかそれを他人に求めてしまうという傾向です。

 

たとえば、「死別から3年ぐらいは悲しむ」、これが本来あるべき姿と考えている人間は、他人に対しても3年間悲しんでいて欲しいわけです。最悪の場合、「1年で立ち直るなんてどこかに問題があるんじゃないの?」ぐらいには思われてしまうかもしれません。

また、「死別の話をする時は涙を流す」、これが本来あるべき姿と考えている人間は、そういった場面で他人にも泣いて欲しいわけです。この場合も、「泣かないなんて気持ちが弱いんじゃないの?」ぐらいには思われてしまうかもしれません。

 

どちらも迷惑極まりない話ですし、勘違いも甚だしい押し付けなのですが、それが彼らにとっての美しい悲しみ方である以上、やはりこういった悲劇は起きてしまいます。

 

自分の悲しみ方を基準に考えることについて責めるつもりはありません。

また、自分の悲しみ方を美しいと考えてしまう点も、仕方ないので許しましょう。

しかし、自分の悲しみ方以外を美しくないとしてしまうこと、つまり、他人に悲しみ方を押し付けること、これだけはさすがに勘弁してもらいたいものです。

 

こういった考えの人は、自分と考えの合う人間を囲い込む一方で、それ以外の人間を排除しようとします。

だから、やっぱりおかしなことが起きるんです。

死別に関する「遺族の集い・ブログ・掲示板」などに参加した時に、「なんか雰囲気が合わないな」と感じたことはありませんか?

それももしかしたら、こういった人間がいたことが原因かもしれません。

 

ただ、こういう方々は成長途中の人たちでもあるので、大きな目で見守ってあげることも必要です。

「悲しみは人それぞれであり、だからこそ悲しみ方も人それぞれである」

この基本的なことを今一度見つめ直し、成長してくれることを期待しましょう。

 

理想の悲しみ方なんてない

 

結局、美しい悲しみ方なんてものはなく、人の悲しみ方はそれぞれです。

したがって、理想の悲しみ方なんてものも当然ありません。

 

中には、死別以来ひとつぶも涙が出ていないという方もいるかもしれませんが、それでいいんです、それがあなたの悲しみ方です。

逆に、毎日毎日泣き続けている方もいるかもしれませんが、それもそれでいいんです、それがあなたの悲しみ方です。

 

死別に関する世界は、悲しむことが当たり前と考えられている世界であるだけに、時として涙や取り乱すことを要求されているような気になる場面もあるでしょう。

また、時として、他人から強引に同情を求められることもあるでしょう。

そんな時も大丈夫です、自分に嘘がつけないと思ったら、全力でシカトしてください。

 

すべては感じるままに。

 

 

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