「人生で一番つらい出来事は大切な人との死別である」
このことに疑問を感じる人間はおそらくいないと思います。
では、これはどうでしょう?
「死別は特別な出来事である」
これは意見が分かれると思います。
ひとりの人生という視点で考えれば、死別は紛れもなく特別な出来事です。
大切な人との別れは、そうそうあるものではありませんから。
一方、社会という視点で考えれば、死別はごくごくありふれたことであり、特別ではない出来事と言うこともできます。
日本だけでも毎年100万人以上が亡くなることを考えれば、それも簡単に理解できるでしょう。
そうなると、想定する範囲を広げれば広げるほど、死別が特別なことではなくなるということになります。
では、その境界線はどこなのか?
つまり、あなたが経験した死別をどこまでの人間が特別なことと感じているのか?
この範囲は思ったよりもずっと狭い、私はそう考えています。
正確に言うと、死別直後には一定の広さがあるが、あっという間にその範囲は狭くなり、最終的には想像以上に狭いものになると考えています。
死別直後は、関係者や知人を含めて数十人ぐらいの広さがあることでしょう。
しかし、最終的な範囲はおそらく家族ぐらいです。
いや、もしかしたら本人だけかもしれません。
あくまでも私の感覚ですので、多少の誤差はあると思います。
しかし、他の死別経験者やそれを取り巻く社会の状況を見ていても、あながち間違っていないと思います。
あなたの死別体験をいつまでも特別だと考えてくれる人間は、実は想像以上に少ないんです。
だからと言って、これだけでは特に問題は起きません。
なぜなら、この範囲内で行動している限り、まわりの人間はあなたを特別視してくれるからです。
言い方を変えると、この範囲内では「死別という特別な出来事を経験したこと」が免罪符となってくれます。
想像してみればわかります。
死別直後の人間に厳しく接する人はいません。
多くの人が同情し、哀れみ、寄り添おうとしてくれます。
少々のわがままであれば、よほどのことがない限り許してもくれるでしょう。
これは、あなたの持つ死別の免罪符が効果を発揮していることを意味します。
では、どういった時に問題が起きるのでしょう?
それは、この範囲の外で、死別を理由にあなたが何か行動をした時です。
例えば以下の行動。
- 死別で荒んでいることを理由に他人にきつくあたる。
- 死別で気分が乗らないことを理由に会社を休む。
- 死別で落ち込んでいることを理由に誘われた集まりに参加しない。
一見すると、すべてたいしたことのない行動です。
「死別で苦しんでいるんだから、これぐらい許されるんじゃない?」
そう感じる方も多いでしょう。
ただし、これが許されるのはあくまでも免罪符が通用する状況だけです。
先ほど書いたように、免罪符が通用する範囲はあっという間に狭まります。
そして気付かないうちに、あなたは狭まった境界線の外側に出てしまいます。
こうなると免罪符は通用しません。
あなたの死別は特別視してもらえなくなるわけです。
このような状況で上と同じような行動をとった場合、話は大きく変わってしまいます。
「え? まだそんなこと言ってるの?」
「つらいのかもしれないけど、いいかげん迷惑かけるのは勘弁してほしい」
「いくら死別したからって少しぐらいは空気を読むべきでしょ」
「こっちまでテンション下がるんだけど」
面と向かって口に出されることはさすがにないと思います。
ただ、境界線の外なわけですから、そんなところで死別の免罪符を振りかざしてばかりいると、疎まれ始めることは間違いありません。
なにせあなたの持つ免罪符には効果がないわけですから。
おそらくこの頃には、あなたのことを死別を経験した特別な人間と思っているのはあなただけになっていることでしょう…
こんな感じで、誰にでも通用すると思っていた死別の免罪符は、あっけないほど短期間で効果がなくなります。
それどころか、より広い社会で考えた場合、はじめから免罪符にならない可能性さえあるでしょう。
そう考えると、時には立ち止まって、自分が免罪符を振りかざしてしまっていないかを確認してみてもいいのかもしれません。
長くなりましたが、死別経験者が特別扱いされるのはあくまでも限られた狭い範囲であることを認識し、社会に対してはすぐに通用しなくなること、もしくはまったく通用しないということを知っておくべきです。
いつまでも死別にしがみつくあまり社会から疎まれて置いていかれるか、それとも新しい世界で前を向いて生きていくか、その選択はあなた次第です。
私のように社会から置いていかれる人間が少しでも減ることを願ってます。
後悔しても、誰かのせいにしたくても、結局すべて自分の責任です。
つらいことがあったからこそ、残された人生を少しでも有意義に過ごしましょう。
あなたにはきっとそれができるはずです。