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亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

死別経験者を悲しみから救うことはできるか

 

今日は、こんなテーマで書いてみます。

 


 

さぁ、どう思いますか?

死別経験者を救うことは果たしてできるでしょうか?

 

本来なら、もう少し条件を提示してから投げかけるべき質問だとは思いますが、それではつまらないので、とりあえずこのままいきましょう。ちなみに、「わからない」という答えはナシで。

 

私の答えは「救えない」です。

 

さて、みなさんの答えはどうでしょうか? 

 

みなさんの答えを確認する手段はありませんが、結果がすごく気になります。というのも、みなさんが普段どう考えているかが、この質問でなんとなくわかるような気がするからです。

  

では、少し見ていきましょう。

 

まず考えなければいけないのは、「どうなれば救われたことになるのか」という点です。つまり、ゴールはどこなのか。

・悲しみが癒えることをゴールとするか

・悲しみが消えることをゴールとするか*1

言葉の上ではわずかな違いかもしれませんが、これをどう考えるかで大きく答えが変わるのでしょう。

 

ここからは私の個人的な見解ですが、前者は、「死」を受け入れていらっしゃる方なのだろうと考えています。「悲しみが存在することは認めていて、あとはその悲しみが少しずつ癒されるのを待つ」という、ある意味で悟っている方々です。こういう方々にとってみれば、死別経験者には救われる可能性があるわけです。なぜなら、いくら深い悲しみとはいえ、最終的に悲しみが癒えることは十分に考えられるわけですから。

 

それに対して、後者は、「死」を認めたくない方なのだろうと考えています。悲しみが消えることこそゴールであり、そうならない限り死別経験者は救われないと考えている方々です。こういう方々にとってみれば、そこに悲しみが存在していてはいけないわけですし、100の悲しみが0にならなければ救われることはないわけです。

 

100の悲しみが0になる…

じゃあ、それはどういう状況なのか? 

 

これはもう、故人が戻ってくること以外にありえません…

 

ということは、永久にこの人たちが救われることはないのか?

 

その通りです。

 


 

でも、やっぱりなんとかしてあげたい。そうしないと、この方々は救いがないままこの先ずっと生きていかなければいけません。それはあまりにも残酷です。

 

ちなみに、救う方法は2つあります。

 

ひとつは考え方を変えること。つまり、上に出てきた前者と同じ考え方をするということです。悲しみを認め、自分の悲しみが癒えるのを待ち、それが癒えた時をゴールとする。それは、大切な人のいないこの世界を認め、この世界で何ができるかを考えていくということでもあるでしょう。

 

そしてもうひとつの方法は、故人が戻ること。

 

ということで、現実的なのはひとつめの方法です。これは言うまでもありません。大人な考え方なのもひとつめの方法ですし、常識的なのもひとつめの方法。なにより、普通はこちらの方法を選ばざるを得ない。

 

でも、ふたつめの方法、やっぱりこっちいきたいですよね。たとえバカにされたり、頭がおかしいと思われたりしても、やっぱりこっちの方法がいい。

 

冒頭で、「死別経験者を悲しみから救うことはできるか?」という問いに対して、私は「救えない」と答えました。なぜなら、私がこの時に想定した死別経験者は、100の悲しみを0にしたいと考えている方々であり、死別をなかったことにしたいと考えている方々だからです。となると、現時点ではやはり無理な話と言わざるを得ず、だからこそ「救えない」と結論付けたわけです。

 

しかし、これはあくまでも現時点での話であり、あくまでも2016年11月27日時点の話です。

 

故人に会いたがっている人や、大切な人の死を認められずいつまでも悲しんでいる人… こういった救いのない方々こそなんとかしたいし、心から救ってあげたいものです。そのためにはいろいろ考えなければいけませんね。

 

きっと私もその一人なんでしょうから…

 

 

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*1:「癒える」と「消える」の違いを説明すると、「癒える」は100の悲しみが20、10、0とだんだん減ってくることです。それに対して「消える」は、100の悲しみがいきなり0となることです。あくまでもここでの勝手な定義ですので、そこはご理解ください。