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亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

故人の話題に触れていいのか

 

さて、今日は「故人の話題」について考えてみます

 

 

このブログは、主に死別経験者が読んでくださっていると考えております。というわけで、もしその想定が合っているのであれば、みなさんは大切な人を亡くしていらっしゃるわけです。もちろん私もそのひとりです。

 

そこで、みなさんには、3つほど考えてみてもらいたいことがあります。

①自分の大切な人が話題に出ることをどう感じますか?(基本的には自分がいる場で)

②他人が自分の死別体験について触れてくることをどう感じますか?

③自分の大切な人が話題にされたり、自分の死別体験に触れられたりすることを望みますか?  

 

おそらく、①と②は人それぞれで、③に関しては、「望まない」という回答のほうが多いのかなと考えております。もちろん、①と②は、どういった内容で話題にされるのか、どういう状況で触れられるのかによって、ある程度の傾向は出ると思います。ただし、大きくまとめるとやっぱり人それぞれかなと…

 

では、少しずつ考えていきましょう。

 

①について

故人を話題にするにあたっては、大きく分けてプラスの話題とマイナスの話題があるはずです。プラスの話題とは、故人を懐かしんだり、故人をほめたりと、故人のプラス面に光が当たっているような内容。逆にマイナスの話題とは、故人の欠点を指摘したり、故人をけなしたりと、故人のマイナス面に光が当たっている内容。

 

とはいっても、マイナスの話題に関しては基本的に考える必要もないでしょう。なぜなら、そんな状況はかなり考えにくいからです。遺族が目の前にいるわけですし、一歩間違えば死者を冒涜することにつながりますから。

 

となると、問題になるのはプラスの話題の場合ですね。これは意見が分かれる気がします。確かに、故人を傷つけるような話題ではありませんので一見すると問題がなさそうです。しかし、死別のことを忘れたいと思っている人間や、自分の感情にフタをしてやり過ごそうとしている人間にとってはなかなかどうしてキツイ… なぜなら、嫌な記憶がよみがえり、強烈に心を揺さぶられてしまうわけですから。

 

そう考えると、災害や事故など、思い出したくないような状況で大切な人を亡くされた方は、このように感じることが多いのかもしれません。そんな方たちにとってみれば、いくらプラスの内容であっても話題にはされたくないのでしょう。

 

一方で、それ以外の方にとってはそれほど目くじら立てるような問題でもないのかなと思います。中には、自分がほめられたような気がして嬉しくなる人もいらっしゃるかもしれません。いずれにしても、故人を話題にされることを不快に感じることはないでしょう。

 

もっとも、このように考える方はやはり少数派であり、割合としては不快に感じる方のほうが多い気がします。

 

②について

これは自分についての話ですね。具体例があった方がわかりやすいと思いますので、いくつか例を挙げてみます。

  • 「あんな経験をされて大変だったでしょう?」
  • 「少しは落ち着きましたか?」
  • 「大丈夫ですか?」
  • 「どういった原因でお亡くなりになったんですか?」 

こんな感じで他人が自分の死別体験について触れてきます。

どう感じますか?

これもやはり意見は分かれると思います。

NGワードと感じた場合は明らかに不快でしょうし、そうでなければ特に問題はないはずです。もっとも、人によってNGワードは異なりますし、特に気にしていなかったことでも、タイミングや状況によってはNGワードになってしまうことがあります。さらに、誰の発言かによっても感じ方が異なりますから、単純な線引きは難しいかもしれません。ただ、喜んだり、嬉しかったりするというケースは限られると思うので、やはり不快に感じる方のほうが多いのかなと思います。

 

③について

さて、ではこういったことを望むかということですが、これは①と②における感じ方次第ということになるのが自然でしょう。不快に感じる方は望まないでしょうし、別に気にならないという方は気にしない。見てきたところ、不快に感じる方のほうが多そうな雰囲気ですので、そうなると望まない人の方が多いということになります。それに、気にならないという方であっても、望んでいるのかという話になると、疑問です。

 

こう考えると、①②のようなことを望む人、つまり自分の大切な人が話題にされることや、自分の死別体験に他人が触れてくることを望む人は、実はあまりいないんじゃないでしょうか…

  

私が気になるのはこの部分であり、非常にまずいと考えているのもこの部分です

 

   

少し話は変わりますが、こんな会話の場面を見たことがあると思います。

A「お父さんの件、大変だったね」

B「……」

A「つらいとは思うけど、元気出しなよ」

B「うん…」

さて、このあとAさんが再度この話題を口にすることはあるでしょうか?

 

おそらく「ない」

それどころか、気を遣うはずなので、Aさんは自分に言い聞かせるわけです、もうこの話は絶対にしてはいけないと…

 

ついでに、もう少し先まで想像してみましょうか。このような会話を経験したAさんは、Bさんのお父さんのことをいつまで覚えているでしょうか? これはAさんとBさんの関係の深さにもよりますが、あくまでも他人の親であることや、この先は会話に出ることもないと考えると、おそらく早いうちに忘れてしまうものと思います。

 

こういったことがあちこちで繰り返されることによって、いつしか、Bさんのお父さんが誰かの会話に登場することはなくなります。そうすると、みんなBさんのお父さんのことを忘れていきます。

 

そしてあるとき、Bさんはふと思うわけです。

  • 「私がつらい経験をしたことをもうみんな忘れちゃってる、ひどい…」
  • 「どうして、こんな経験をした私に無神経に声をかけてくるんだろう、意味がわからない…」
  • 「私にとってあれほど大切な人なのに、悲しい…」

  

もうわかりますよね、これはひどい話でもなんでもない。意味がわからないどころか、ごくごく自然な話です。みんなが、Bさんに起きたことやBさんのお父さんのことを忘れているわけですから。

 

ある意味「悲劇」であり、「ジレンマ」でもあります。

死別の体験や故人についてはあまり触れられたくはない。

でもみんなには覚えていてほしい。それなのにみんな忘れていく…

おわかりのとおり、こんな都合のいいことは成り立たないんですね。

 

少し整理してみましょうか。

 

死別直後というのは、誰もが、「死別という事実」と「当事者であるあなた」に注目している状態なわけです。そのような状態の中で、主役であるあなたは「深く傷ついているから、そっとしておいてくれ」というメッセージを出します。そうすると、無神経な人間をのぞけば、ほぼ全員がそっとしておいてくれるでしょうし、話題にも出さないようにしてくれるでしょう。

ただし、このことは同時に、周囲の人間から「死別という事実」と「当事者であるあなた」に関する記憶を奪っていきます。ここに、あなたと周囲の人間とのギャップが生まれるわけです。しかもこの頃になると、あなたの顔には昔の表情や顔色なんかが少しずつ戻ってきているでしょうから、元気になったかのように見えてしまったりもします。そうなると、「死別という事実」と「当事者であるあなた」を思い出させてくれるようなものは、あなた自身の心を除けば、なにひとつ存在しなくなるわけです。

 

こんな感じで、死別前の日常と変わらない光景が出来上がります。

 

ひとつ変わったことがあるとすれば、「あなたの大切な人が亡くなったということ」

そしてもうひとつ変わったことがあるとすれば、「その事実すら忘れ去られたということ 」

 

 

「すべての人の記憶から消えた時に、本当の意味で死ぬ」

こんな言葉を聞いたことがありますか? 上の状況は、まさにこれに一歩近づくわけです。

 

「自分さえ覚えていればいいよ」という方にとっては大した問題にもならないのでしょうが、私はそんな風に考えられるほど大人ではありません。できれば、自分の大切な人のことをみんなにも知ってもらいたいし、そういった人間がいたということを忘れないでほしい… そんなことを考えてしまいます。

 

そもそも、故人に会いたいなどと考えている私ですから、本当の意味であろうがなんだろうが死なれては困るわけです。

  

さて、どうしましょう?

 

単純に考えるのであれば、今まで見てきた行動の逆をしていけばいいわけです。とはいっても、実はこれもなかなかハードルは高い。だって、死別体験を根掘り葉掘りたずねるような文化は日本にはありませんし、死別体験をところかまわず話すような文化も日本にはありません。死別はそっとしておく、それが日本の文化なわけです。

しかし、かといって何もしなければ何も変わりません。大切な人が忘れ去られていき、大切な人の本当の意味での死が近づくだけです。

 

となると、結局は自分が変わるしかないわけです。

 

だから、話せるのであればできるだけ故人の話をし、死別体験についてもできるだけ多くを話す。もしそれが出来なかったとしても、少なくとも拒絶することは絶対にしない。

 

こうすることで、あなたの大切な人は、少しでも多くの人に、少しでも長い間覚えていてもらえます。

 

もし、「すべての人の記憶から消えた時に、本当の意味で死ぬ」というのが正しいのであれば、これは「本当の意味で生きている」ということに他なりません…

 

少なくとも、私はずっと前からそう考えています。だからこそ、故人のことが話題に出ると嬉しいですし、死別体験について質問された時も、喜んで答えるようにしています。どんな理由であれ、どんな形であれ、どんな人にであれ、大切な人のことを少しでも知ってもらえるのであれば、それが一番ですから。そう考えると、NGワードなんて本当に些細なことですし、むしろ声をかけてきてくれたことに感謝すべきだと考えています。

 

  

いい加減まとめないといけませんね。

今日のテーマは「故人の話題に触れていいのか?」でした。

 

答えは…「人それぞれなのでわかりません」

 

ここまで書いてきて「え?」となった方もいらっしゃるかもしれませんが、先ほどのはあくまでも私の考え方であり、他の方がどう思うかまでは安易に答えを出せません。なにせ文化は変わっていないわけですから… ただ、少しずつでも文化を変えていきたいとは思ってます。そしていつか、故人の話題に当たり前のように触れることができる文化になっているといいなと考えています。

 

 

 

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