亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

死別経験者が気を付けるべきこと①

 

今日は、死別経験者が気を付けるべきことについて書いてみます。
異論反論あるかもしれませんが、ご容赦ください。

 


 

 死別に関する本や記事、ニュースなどで、よく目にする言葉がありますよね。

 

「経験した人にしかわからない」

 

これはまさにその通りだと思います。
死別を経験したことがない方には、死別がどういうものなのかわからないでしょうし、奥さんを亡くされた経験がなければ、奥さんを亡くされた方のつらさもわからないと思います。
同様に、ご主人を亡くされた経験がない人には、ご主人を亡くされた方の悲しみもわからないはずです。

 

つまり、この言葉は正しいわけですね。
それどころではありません、完全に正しいわけです。
他人である以上、その人とまったく同じ経験をすることは不可能なわけですから。
そして、これはなにも死別に限った話ではありません。

 

少し話がずれてしまいそうなので、戻しましょう。

 

私が気になっているのは上の言葉の使われ方なんです。
正確に言うと、この言葉がどういう意図で使われているかということです。 

 

ちなみに、死別に関する掲示板やブログではこの言葉を特によく目にする気がします…

 

使われ方は大抵次の2つのパターン。

①死別経験がない方の書き込みやコメントに対して使われる
②死別経験が異なる方の書き込みやコメントに対して使われる

 

①はわかりますよね。
死別経験者が、死別経験のない方へ向けて発するパターンです。

 

②は少し説明を加えておきましょうか。
これは、お互いに死別は経験しているが、誰と死別したかが異なる場合です。
例えば、お子さんなのか親御さんなのか、恋人なのか伴侶なのか、といった違いです。

 

ちなみに、この2つのパターンに共通するものが何かわかりますか?

 

それは、どちらの場合においてもこの言葉が相手を排除するために使われているということです。
さらに、なぜかエラそうだということです。

 

  • 「経験したことのないおまえにはわからないから、おまえと話してもムダだ」
  • 「経験したことのないヤツは口を出すな」

こういった空気がガンガン出てます。

 

 


 

 

同じ死別経験者として言わせてもらうと、こういう風潮は好きではありません。

 

理由は3つあります。

①一貫していない

②特別だと考えている

③思いやりが足りない

 

では、説明していきましょう。

 

①一貫していない

 

「経験した人にしかわからない」

 

相手を排除するためにこの言葉を使うような人は、基本的に一貫してません。
自分の都合に合わせて使う人がほとんどです。

 

冒頭に書いたように、もし経験した人にしかわからないというのであれば、この人の気持ちは本来誰にもわからないはずです。
そして、この言葉を口にする以上は本人もそれを理解していることでしょう。
なのに、なぜかこういう人ほど自分の悲しみや苦しみを相手にわかってもらおうとします。
そのあげく、ひとたびそれが上手くいかないとわかると急にこの言葉を口にして他人の排除を始めるわけです。

 

そればかりでなく、まったく逆の行動も平気でします。
「経験した人にしかわからない」という持論があるにもかかわらず、相手の気持ちを理解しているような発言をするんです。
その人と同じ経験をしたことがないのに「君の気持ちはよくわかるよ」なんて平気で言ってしまいます。

 

もう、言っていることとやっていることがメチャクチャ。

 

結局は、自分がイニシアチブを取れる都合のいい状態をキープしたいだけなんですね。
その証拠に、多少経験が異なっていたとしても、都合のいい人とは平気で群れることができます。

 

私的に、こういう方々はちょっと厳しいかなって思います… 

 

②特別だと考えてる

 

では、次ですね。

 

こういう人は、自分の死別体験こそ「特別」であり「一番」だと考えています。
そして自分の考え方こそ、死別経験者にあるべき考え方だと考えています。

 

おそらく、「死別はよくあること」ということに気付いていないのでしょう。
こんなの少し考えればわかる話です。
人は互い違いに亡くなっていくので、ほぼすべての人がさまざまな死別を経験します。
もちろん、そこに時期の差はありますし、相手や自分が若い時などはきっとつらいことでしょう。
ただ、そんな人でさえ世の中には実はたくさんいるわけです。

 

ここで勘違いしないで頂きたいのは、よくあることだからといって悲しんだり助けを求めたりしてはいけないと言っているわけではありません。
また、静かに耐え忍ぶことが素晴らしいと言っているわけでもありません。

 

単に、自分の死別体験だけが特別だと思うなと言いたいだけです。
加えて、他人と比較してエラそうにするなと言いたいだけです。

 

みんな悲しいし、みんな特別。
それでいいのではないでしょうか。

 

③思いやりが足りない

 

次にいきます。

 

結局、こういう人が多いと死別経験者が誤解されやすくなるんですね。
だって、こういうタイプの人間が、いろんなところでエラそうにいろいろと言って回るわけですから。
そう、「これは経験した人にしかわからない」って…

 

もしかしたらこういった積み重ねが、

  • 「死別経験者は難しい」
  • 「理解ができない」
  • 「触れない方がいい」

みたいな風潮を生むのかもしれません。

 

こうなってしまうと、他の死別経験者はますます悲しみや苦しみを表に出しづらくなります。
生きづらくなるばかりでなく、人によっては孤独を深めていくことでしょう。

 

大切なのは思いやりです。

 

相手のことを思いやることができれば、他の死別経験者を拒絶したり排除することもないはずです。
と同時に、たとえ死別経験のない人に見当違いなことを言われても、それがさほど気にならないはずです。

 


 

  

本当は、死別を経験しているからこそ誰よりも優しい気持ちを持っているはずです。
そして、死別を経験しているからこそ誰よりも思いやりを持てるはずです。

 

 

そういう人間でいたいものです。
きっと、大切な人もどこかで見ているでしょうから…

 

 

 

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