亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

後追いを考えている方へ

 

 

今日は「生きるヒント」といったところですかね、とりあえず書いていきます。 

 

 

 

 

「後追い」

 

これは一般的には赤ちゃんが親の後ろをついて回ることを意味するようですが、
ここではもちろん「後追い自殺」のことを意味しています。

 

 

ちなみに、みなさんは後追いを考えたことがありますか?

 

 

とその前に、まずは私がこの質問に答えておきましょうか。
私はというと、考えたことがあるばかりでなく実行にも移しました。
とはいっても現在こうやってブログを書いているぐらいですから、その結果が失敗だったことは言うまでもありません…

 

 

さて、では皆さんはどうでしょうか?
中には「後追いをしようか今まさに悩んでいる最中」という方もきっといらっしゃることでしょう。
もちろん、それはそれでまったく不思議なことではありません。
現に私だってそういった人間の一人だったわけですし…

 

 

ですが、そんな方々には私から少しばかりのお願いがあります。
とりあえずこの記事を読んでみてください。
途中までじゃダメですよ、ぜひ最後まで。

 

 

 

 

私の場合は交際相手との死別でしたが、先ほども書いたように「後追い」を考えました。

 

 

というのも、「どうにかして会いたい」などとずっと考えていると、どうしてもある結論に達してしまうからです。
それは「死ねば会えるのではないか」という結論です。

 

 

だってそうでしょう。
相手がこの世界にいない以上、「会うためにはこの世界ではないどこかに行かなければいけない」ということは明白ですし、「果たしてそれはどこなのだろうか?」といったところまで考えると、それはもう「死後の世界」ぐらいしか見当たりませんから。

 

 

しかも、そういったことを考えていると「死ねば今現在抱えている悲しみや苦しみなどもすべてなくなるのではないか」という非常におそろしいことにも気付いてしまいます… 

 

 

一旦こんな思考回路が形成されてしまうともう止まりません。
後追いがどんどんと「素晴らしい答え」であるかのように思えてきます。 
当然ですよね。
なにせ大切な人に会えるばかりでなく、今抱えている悲しみや苦しみまでもが消えてなくなるわけですから。
言ってみれば、一石二鳥ってところでしょうか…

 

 

というわけで、一度この考えに行き当たると、自分はもちろんのこと他の誰にももう止めることはできません。
そこからは毎日のように死にたいと考え、その日に向かって少しずつ自分の歩を進めていくことになるわけです。

 

 

ただ、実際に実行に移すかどうかは人によって異なると思います。
というのも、自分のことだけでなく家族のことや友人のこと、さらには会社のことや学校のことなど、置かれている状況によってそれぞれいろいろなことを考える必要がありますから。
そして、普通の人であればおそらくこのあたりで思いとどまるはずです。

 

 

では、どういった人間がそのまま突き進むのでしょうか?
それは、「周囲に守るべきものや守るべき人間が存在せず、なおかつ人生に未練などないと考えているような人間」です。
それはつまり、当時の私のことでもあります。

 

 

そんなわけで、私は「後追い」を実行に移すところまで自らの歩を進めてしまいました。
もっとも、その結果は言うまでもありません。
冒頭で触れたとおり、実行には移してみたものの死に切れずに今こうやってブログを書いているという次第です。

 

 

ちなみに、死に切れなかったと書くとまるで今も後追いを望んでいるかのように聞こえるかもしれませんが、今は「生きてて本当に良かった」と思っています。
ですから、この点については誤解のないようしっかりとお伝えしておきます。
ついでに、これはあくまでも頭の片隅で結構なのですが、「それほどまでに後追いを望んでいた人間であったにもかかわらず、そんな人間が今は心の底から後追いをしなくて良かったと感じている」という事実も覚えておいてください。

  

 

 

 

さて、前置きが長くなりましたが本題はここからです。

 

 

私自身が後追いを実行に移してしまうぐらいの人間ですから、大切な人に会いたいあなたの気持ちは痛いほどわかるつもりですし、「できることなら悲しみや苦しみからも逃れたい」と願う気持ちについてもよくわかっているつもりです。
また、大切な人がいない人生に完全に絶望してしまっている気持ちだってよくわかります。

 

 

でも、とりあえず先に言わせてください。
「後追いはとにかくもったいないです」

 

 

さて、では「なぜそう思うのか」について説明していきたいと思いますが、その前に「後追い」を巡る意見について少しだけ触れておきましょう。

 

 

後追いをしようとしているぐらいですから、あなたは「死ねば大切な人に会える」と考えているわけです。 
ところが、世の中には「後追いでは大切な人に会えない」という意見をお持ちの方もいらっしゃいます。
となると、この点については少し考えておいたほうがいいように思います。
とは言ってみたものの、実はその必要はほとんどありません。
なぜなら、生きている人間にそんなことがわかるはずないので。
というわけで、仮にそういった意見を見聞きしたとしても相手にする必要はまったくありませんし、たとえ多少の矛盾が存在しようとも、こういった部分についてはやはりあなた自身が考えたいように考えるべきでしょう。
一応フォローだけしておくと、こういった意見はおそらく後追いを防ぐために生まれた意見であり、その背景にはきっと優しさがあるんだと思います。
ですから、これはこれで本当は素敵なことであって、もしこの意見を信じたいというのであればそれはそれで結構だと思います。

 

 

わざわざこのようことを書いてはみましたが、後追いを考えている人間にとってみれば他人の意見などなんの「抑止力」にもなりませんので、ちょっと余計な話だったかもしれませんね。
まぁ世の中にはそういった意見もあるということで参考程度に…

 

 

なお、後追いを考えている人間が人の意見を聞くかどうかはあなた自身が一番よくわかっているはずですよね。
そう、聞くはずがないんです。
これは、きっとどれほど偉い人の意見や言葉であってもおそらく同様な気がします。
少なくとも、当時の私も聞く耳をまったく持たない状態でした。
だからというわけでもありませんが、私は後追いそのものには反対もしませんし、もちろん否定だってしません。
なぜなら、どうせ言っても変わらないでしょうし、繰り返しにはなりますが「後追いを望む気持ち」も骨身にしみるほど理解しているからです。

 

 

ただ、もし後追いをするのであれば、その前に気にして欲しいことが2つだけあります。
たった2つです。
いくら他人の意見に耳を貸せないような状況であっても、最低限これだけは気にしてみてください。
それに、死に切れなかったとはいえ実際に後追いに踏み切った人間からのちょっとしたアドバイスでもあるわけですから、少しぐらいは読んでみる価値があるのかなと思います。
ということで、もう少しだけお付き合いください。

 

 

さて、ではその2つが何かと言うと、それは「後追いのタイミング」と「大切な人のこと」です。

 

 

後追いのタイミング

 

 

先ほども書いたとおり、私は後追いを否定するつもりは一切ありません。
ただ、全身全霊をかけて言いたいのは「本当に今でいいの?」ということです。
だって、どっちにしろ死ねば会えるわけですよね?
そう考えると、果たしてそんなに焦る必要があるのでしょうか?
というわけで、この点についてはしっかりと検討するべきだと思います。

 

 

私が思うに、後追いを考える方はもしかすると人の死を重く考え過ぎてるのかもしれません。
もちろんそれが軽いものだとは言いませんが、たちどころに後を追いかけなければならないほど重大なことだとも思えません。
というのも、大切な人は少し早めに向こうの世界に行っただけです。
言ってみれば引っ越しのようなものでしょうか。
離ればなれになっている時間は確かに普段より少し長めにはなってしまうのですが、どうせいつか死んだ時には会えますし、またいつものように笑って話だってできるはずです。

 

それよりも、せっかく会えた相手に「私はもっと生きたかったのになんであなたは人生をそんなに粗末にしちゃったの?」と言われるほうが私はよっぽど嫌です。
こういった気持ちは、「生きたくても生きられなかった相手の無念さにまで心を配ることができて、なおかつ後追いを考えるほど熱い想いを持っている方」にはきっと理解してもらえると思います。

 

以上を踏まえると、一見「早ければ早いほど相手への想いの強さの証明になるのでは?」と思われがちな後追いのタイミングも、実はそんな単純なものではないということになります。
というわけで、もしあなたが大切な人への熱い想いを抱いているのなら、「後追いについてはある程度の期間様子を見てもいいのでは?」というのが私が思う正直なところです。

 

 

念のためもう一度書いておきますが、死ねばいつでも会えます。
何も心配はいりません。
ですから、生きているうちにできることはすべてやり切って、それから気持ちよく胸を張って会いにいくのがベストだと思います。
相手の無念さまで理解できる方であれば、きっとその判断だってできることでしょう。

 

 

なお、当時の私はそんなことすら考えられないような「子供のように自己中心的なただのバカな人間」でしたから、危うくおかしなタイミングで後追いをしてしまうところでした。
でも、今はタイミングの重要性を強く感じています。
だからこそ、あなたにもタイミングについて一度マジメに考えてもらいたいと感じているわけです。

 

 

ついでに少しばかり個人的な話を書いておきます。

 

いつか大切な人に再会できることを考えると、私は楽しみで仕方ありません。
そして、いつか訪れるその時には、絶対に私の大好きな「あの笑顔」で迎えてもらいたいと思っています。
なので、タイミングだってもう二度と間違えないでしょうし、そもそも後追いをしようとだって思っていません。
大好きな「あの笑顔」で迎えてもらうために、今はただただ彼女の分まで一生懸命生きようと思っています。

  

これはあくまでも私の生き方に過ぎないのですが、気が向いたら参考にしてみてください。

 

 

大切な人のこと

 

 

少し話がずれてしまいましたので戻しましょうか。
2つ目は「大切な人のこと」です。
これはどんなことがあっても絶対に考えなければいけないことです。
だって、後追いをしてまで会いに行きたいぐらい大切な人なんですよね?
であるなら、その人の気持ちを考えなければいけないのも当然のことですよね?
というわけで、「誰よりもその人を愛しているであろうあなた」も改めて相手の気持ちをきちんと考えてみるべきです。

 

 

では、ここで質問を用意してみましたので一緒に考えてみてください。

 

  • あなたの大切な人は、あなたに向かって「早く死んで会いにきて」と言いますか?もしくは、そういったことを望むような人ですか?
  • もし逆の立場だったとしたら、あなたは大切な人に後追い(自殺)を望みますか?

 

中には、自分だけ生きているのが申し訳ないと感じている人もいるでしょうから、そんな方にはこちらの質問を。

 

  • あなたの大切な人は、あなたが生きていることを恨んだり妬んだりするような人ですか?

 

おそらく、答えはすべて「No」なはずです。
それはつまり、「あなたの大切な人はあなたが後追いをすることをまったく望んでいない」ということを意味しています。

 

 

さぁ困りましたね、どうしましょうか?
大切な人が望んでいないとなると、いくら後追いをしたくてもさすがに実行に移しづらいですもんね?

 

 

では、今度は胸に手を当ててよく考えてみてください。

 

  • あなたは大切な人の気持ちを本当に考えていますか?
  • あなたは本当は自分のことだけしか考えてないのでは?

 

もちろん、この質問に対する答えは胸のうちにしまっていて結構です。

 

 

さて、どうでしょうか?

 
ここまでで、大切な人があなたの後追いを望んでいないだろうということは少なくとも理解できたのではないでしょうか。
ではどうしましょうか?
それでもやっぱり後追いをしようと思いますか?

 

 

たぶん、ここまで考えて後追いをする人はいないでしょう。
というより私はそう願います。

 

 

なぜなら、これで後追いをしたらさすがにカッコ悪いですからね。
うん、どう考えてもカッコ悪い。
だって、仮にこの状況で後追いをしたとすると、実は相手の気持ちなんてまったく考えてなくて、ハナから自分のことしか考えていなかったということがバレちゃいますから… 

 


こんなカッコ悪い人間は、ハッキリ言って当時の私だけで十分なんです。

 

 

誤解をおそれず書きますが、大切な人のことを本当に想っている人は、そもそも後追いなんかしないんだと思います。

 

 

後追いをするのは、

  • 自分が可愛い人
  • 苦しむ自分をなんとかしてあげたいと思う人
  • 「相手をこれほどまでに想っている自分」という状況に酔ってる人
  • 大切な人よりも自分のことを優先している人

 こんな人たちです。

 

 

わかりますよね?
つまり自分のことしか考えていない人たちです。

 

この際ですから、カッコ悪いのは百歩譲って許せたとしても、「大切な人のことを最優先で考えているようなフリをしていること」…
これはやっぱり許せませんよね。

 

 

ですから、私は当時の自分が許せません。
結局、あの時は自分のことしか考えていなかったので…

 

 

なお、念のため書いておきますが、私はなにも「後追いを考えること自体がカッコ悪い」と言っているわけではありません。
私がカッコ悪いと言っているのは、「大切な人の気持ちを考えられないこと」と「大切な人のことをちゃんと考えている気になっていること」です。

 

なぜわざわざこんなことを書くかというと、後追いを考えること自体がダメなことだと誤解してほしくないからです。

大切な人を亡くした極限の精神状態なわけですから、後追いを考えること自体はそれほど不思議なことではありません。
ですので、それを考えてしまったからとカッコ悪いわけでもありませんし、自分を責める必要だってありません。

ただ、もしいつまでもそのことばかり考えてしまうようであれば、さすがにどこかで一度自分の真意を確かめてみる必要はあるのかなと思います。
と同時に、それ以上にしっかりと「大切な人の気持ち」を考えてみる必要があると思います。

 

 

 

最後に

 

 

長くなり過ぎたのでいい加減まとめます。

 

 

何度も言いますが、私は後追いを悪いことだとは思いません。
人にはいろんな選択肢がありますし、時には「死」さえも立派な選択肢のひとつだと思いますから…
ただ、もし今死んでしまうと「残された人生でやれたはずのこと」はすべて出来なくなります。
それはつまり、「大切な人が生きたくても生きられなかった人生」というものをあなた自身が粗末にしてしまうのと同じことです。
と考えると、タイミングを無視した後追いというものはやはりもったいないと言えるのではないでしょうか。

 

 

それに、大切な人はあなたの後追いを望んでいないわけですから、それでも後追いを選択するのであれば、それは「大切な人の気持ちよりも自分の気持ちを優先する」ことに他なりません。
果たしてそれはあなたが本当に望んでいることなのでしょうか?

 

もう少しストレートに書くと、後追いは「大切な人に会いたいという自分自身の欲のために、大切な人の気持ちを踏みにじる」という行為でもあります。

 

これは皮肉ですよね。
と同時に悲劇でもあります。
もしかすると、せっかく築き上げてきた大切な人との関係もすべて台無しになってしまうかもしれません。
ですので、やはり後追いはもったいないと思います。 

 

 

 

安心してください。
どうせ会えます。
焦る必要なんかどこにもありません。
大切な人の分までしっかりと人生を生きて、その時(寿命)がきたら大喜びで会いに行けばいいんです。
もちろん、その間の人生においては苦しいこともあるでしょう。
でも、苦しみながらも頑張っているあなたのことを「あなたの大切な人」は必ず応援してくれているはずです。
それだけでなく、一人でも精一杯頑張ろうとしているあなたの姿をきっと心から誇らしく思ってくれることでしょう。

 

 

上手くは言えませんが、相手を想う優しい気持ちがあるからこそ生きていかなければいけないんだと思います。
そして、後追いを考えるぐらい苦しむ方々には「その優しさ」があることを私は知っています。

 

 

 

 

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