亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

死んだら会えるか

 

今回は、「死んだら大切な人に会えるか」について書いてみます。

 

 

大切な人との死別によって、私は奈落の底に突き落とされました。
「世界で一番不幸なのは自分」
真剣にそんな風に考えていた時代です。

当時は大切な人に会いたいと毎日のように泣いていたわけですが、それをずっと繰り返していると、やっぱり考えてしまうんですね、「死ねば会えるんじゃないか」って…

「生きていても絶対に会えないのなら、可能性は死の向こう側にしかない。そもそも大切な人も亡くなったんだから、自分だって死ねばきっと会えるはず」

こんな感じですね、こんな風に考えるようになっていました。
超消極的消去法とでも呼べばいいんでしょうか…

ちなみに、こう考え出すともう止まりません。
ひたすらに死にたいと考えてました。

それはそうですよね。
死ねば大切な人に会えるわけですから…
それだけでなく、いつ終わるかもわからない絶望的な悲しみと苦しみからも解放されるわけですから…

悲しみのどん底にいた私が、「これ以上の選択肢はない」と考えるのも無理はありません。
と同時に、それ以外の話はまったくもって耳に入らなくなりました。
つまり、この考え方に完全に取っ捕まってしまったわけです。


少し話は飛びますが、結果的には死に切れませんでした。
幸いなことに、私の中の「死を怖がる臆病な気持ち」が最後の最後に勝つという結果に終わりました。ただ、今でこそそれで良かったと思えるものの、当時は心から死を望んでいたわけですから、死ねないことがわかってある種の絶望を感じたこともまた事実です。


そんな死に切れなかった私が言うのも微妙なのですが、「死んだら大切な人に会える」という部分に関して疑問を持ったことは一度もありません。
それは今も同じです。

理由や根拠?

そんなものは一切ありません。

あえて挙げるとするなら、「だって、死んでも会えなかったら悲しすぎるでしょ…」
ただこれだけです。

もちろん、死後の世界などについていろいろと見解があることを知らないわけではありません。また、死後の世界なんてものが存在しないと主張する方々がいらっしゃることも知っています。
ただ、本当のことは誰にもわからないということだって私は知っています。
ですから、私にとっては上の理由だけで十分なんです。


というわけで、自分のためにも私は断言します。
「死んだら会えるに決まってる」

誰が決めたか知りませんが、人生はきっとそこまで残酷ではないはずです。

 

 

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