亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

不味いのか、口に合わないのか

 

 

今回も死別に直接関わる内容ではありませんのであしからず。

 

 

以前からずっと気になっていることなのですが、なぜ人は料理を「美味しい」「不味い」という言葉でしか表現できないのでしょうか。
また、なぜ他人より味がわかっている人間でいたがるのでしょうか。
正直に言って、私にはまったく理解できません。
というわけで、今回はこのあたりのことを書いてみます。

 

 

とその前に言っておきますが、私はいわゆる「バカ舌」です。
したがって、空腹時であれば何を食べてもだいたい美味しいと感じます。
それゆえ、過去の外食で「不味い」と思ったことはほとんどありませんし、唯一「?」と思ったものでさえも、おそらく私の口には合わなかっただけなのだろうと考えるようにしています。

 

 

ところが、人と会話をしていると結構な頻度で「不味い」という言葉に出くわします。
それだけならまだいいのですが、その言葉を口にする時、多くの人はまるで世の中のことをすべて理解しているかのような態度を取りがちな気がします。
そしてこの点は、私の中で以前からかなり引っかかっている部分です。

 

 

みなさんはどうでしょうか?
料理を「不味い」と表現することはありますか?
また、そういった人が周りにいますか?

 

 

なぜ私がこんなことを気にするかというと、人が好きで食べているものを「不味い」と言える神経と、そこで「不味い」という表現を使用してしまう神経がわからないからです。

 

 

例でも挙げましょうか。
たとえば、「マクドナルド」について考えてみましょう。
異物混入があったせいで今でこそほぼ利用していませんが、私は「マクドナルド」がキライではありませんし、ここで食事をしていた時は純粋に美味しいと思いながら食べていました。

 

 

しかし、世間的には「マクドナルド」は「不味い」と評価されることが多いようです。
まず、自分が美味しいと感じて食べるものを不味いと言われるのは、ひどく気分が悪いものですが、それはいったん横に置いておきます。
それよりも、こういった方々は疑問には感じないのでしょうか?
なぜ「不味い」のに全国に約3000店舗もあるのだろうかということを…

 

 

ごくごく普通に考えるなら、需要があるからこそ店舗が成り立つわけです。
そう考えると、全国にはそれだけの店舗数を支えるだけの消費者がいると考えるのが自然ですし、実際にそうなのでしょう。

 

 

では、この消費者たちは「不味い」と思いながら食べているのでしょうか?
さすがにそれは考えづらいですよね。
「美味しい」と感じているか、少なくとも「不味くはない」ぐらいには感じているはずです。

 

 

となると、世の中には、マクドナルドは「不味い」という評価をする人間とは正反対の評価をする人間もいるということです。

 

 

そんな人間の前でそれを「不味い」と切り捨ててしまうのは、失礼以外のなにものでもありません。
なにせ、その人間はそれを口に入れているわけですから。
また、多くの人間が食べるものを「不味い」と評価してしまっているわけですから、自分の舌に絶対的な自信を持っていいのかといったことも一度きちんと考えてみるべきでしょう。

 

 

料理や食事を評価するのは人の自由です。
ですから、評価自体は好き勝手にすればいいと思います。
しかし、それを人に伝えようとするなら話は変わってきます。
味覚が主観的なものだということをしっかり理解したうえで、適切な言葉を使用するべきです。

 


私の個人的な意見に過ぎませんが、美味しいか不味いかというのは単にその人の口に合うか合わないか…ただそれだけだと思っています。
つまり、自分の好みと合致すれば美味しいと感じ、合致しなければ不味いと感じるということです。
ですから、良くない評価をどうしても他人に伝えたい時も、「不味い」ではなく「私の口には合わない」という表現を使用するべきだと思っています。
そうでないと、それを美味しいと感じている多くの人に対して著しく礼を欠く結果になってしまいます。

 

 人はついつい「味のわかる人間」というものを演じたがりますが、もし本当に「味のわかる人間」でありたいのなら、こういったところまで理解するとともに、好みが異なる人間にまで心配りをするべきなのではないでしょうか。
でなければ、単に自分の好き嫌いをわめいている人間にしか思えません。

 

 

 

 

にほんブログ村 恋愛ブログ 恋人との死別へ
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
いつもありがとうございます。クリックして頂けると、励みになります!