今回は、故人のホームページやお墓の件から離れて、普通の記事です。
少し考えてみてください。
みなさんは、誰のために生きていますか?
自分のためですか?
亡き人のためですか?
それとも、他人のためですか?
おそらく、人それぞれにいろいろな答えがあると思います。
当然ながら、家族のためにという答えだってあることでしょう。
しかし、中にはこういった答えを持っていない方々もいらっしゃいます。
つまり、何のために、そして誰のために生きているのかわからないという方々です。
特に、死別直後にはこういった方が多いのではないでしょうか。
もちろん、かく言う私も当時はその中の一人でした。
ちなみに、こういった方々はどうすればいいのでしょうか…?
とその前に、まずは答えを持っている方々について考えてみましょう。
とはいっても、こういった方々は特に問題ないはずです。
というのも、たとえどういった回答であったにしろ、そこに答えを持っている以上は人生に迷うこともないでしょうし、なにより、その答えがその方の人生に「張り」をもたらしているでしょうから。
必然的に、「人生を投げ出すこと」も「人生を粗末にすること」もないでしょうし、そんな暇もなくなることでしょう。
では、答えを持たない方々はどうなるのか…?
それはもう、何の楽しみも張り合いもないでしょうし、場合によっては苦しくて仕方ないことでしょう。
なぜこうなるのか…
これはあくまでも私の見解ですが、大切な人を亡くした自分のことばかり考えてしまうからだと思います。
残念なことに、自分のことを考えた時、そこにプラス要素は一切見当たりません。
いわば人生の目的ともいうべきものを失った状況ですし、何を考えようとしてもその事実を突きつけられるばかりですから。
こんな状態であることを考えると、人生に迷うことも、人生に絶望することもまったく不思議ではありません。
ただ、だからと言って死ぬわけにはいきません。
人生を投げ出すわけにも、人生を粗末にするわけにもいきません。
ではどうするか?
こんな時は、人のために生きることを考えてみましょう。
亡き人のために、家族のために、困っている人のために、よく知らない人のために…
人のためにと考えれば、力が湧く瞬間があります。
人のためにと考えれば、前を向く力も生まれます。
人のためにと考えれば、後ろを振り返る時間もありません。
「自分のために生きられない時は、人のために生きればいいだけです」
そしてそうこうしているうちに、崩れかけた自分の人生にも再び芯が通るはずです。
生きる目的を失ったと感じている方々に、いつかそんな日がくることを願っています。
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