ここ最近、「故人のために何かできる」「故人のために何かしよう」といった記事を書いていますが、中には、自分のことで精一杯で、「故人のために…」といったことを考える余裕なんかないという方もいらっしゃると思います。
そんな方のために、少しだけ書いてみたいと思います。
自分のことで精一杯。
一口に言っても、これにはいろいろなケースがあることでしょう。
やることが多くて物理的に手一杯のケース、大切な人を亡くして精神的に目一杯なケース…
もちろん、この他にもいろいろと考えられるでしょうし、それぞれが複合的に重なっているケースもあることでしょう。
ただ、とりあえず、今回は上記2つのケースについて考えてみることにします。
おそらく誰もが理解できると思いますが、前者はどうにもなりません。
これはもう、誰かに助けを求めるか、誰かの手を借りるべきです。
人間に2本の手と2本の足しかない以上、物理的にこなせる量は限られていますから。
もしくは、本当にやるべきことなのかを再度見直して、不要と思われることをやめるべきでしょう。
大切な人を亡くした場合、その人が担当していたことをやらなければいけなくなるといったケースは多いはずです。
しかし、もともと二人でやっていたことを一人で同じ水準でやり切るというのは所詮無理のある話です。
ですから、優先順位を付けると同時に、できないことは諦めるしかありません。
もっとも、このあたりに関しては抽象的な話しかできませんので、その点は許してください。
さて、では後者について考えてみましょう。
私個人としては、これはどうにかなるのでは?と考えています。
というのも、「故人のために何かをする」というのは自分のためにもなるからです。
自分が目一杯だからこそ自分のために何かをする。
その内容が、「故人のために何かをする」ということなだけです。
大切な人を亡くして完全に参ってしまっている…、そんな自分のためにできることはそれほど多くありません。
仮にあったとしても、それはきっと大切な人に関することのはずです。
なぜなら、大切な人を原因としてこの状況が生まれてしまっている以上、それを解決できるのもきっと大切な人に関することでしょうから。
「故人のために…」と言うほうが美しいのは間違いありません。
誰もがそう思うことでしょう。
しかし、現時点で精神的に目一杯なのが自分であるなら、やはり自分のために何かをするべきです。
すべては考え方次第です。
故人のためにといった余裕がないのであれば、もっと気楽に考え、自分のためだと思えばいいんです。
自分のために、そして自分の気持ちを穏やかにするために「故人のために何かする」
それができた頃には、目一杯だった精神状態もおそらく改善されることでしょう。
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