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亡き人に会うために

大切な人を亡くされた人へ|前を向いて歩いていくためのヒントと故人に再び会うための方法を考えるブログ

本のように上手くいくはずもない

 

「本のようにはいかない」
「セオリー通りにはいかない」

こういった内容の発言をする人間がいますが、これは当たり前の話です。
なぜなら、死別の状況がそれぞれ異なりますし、そもそも死別を受け止める人間自体が異なるわけですから。

ただその一方で、少なからず当てはまる点があることも間違いないはずです。
それどころか、案外たくさんあるかもしれません。

しかし、何のためかはよくわかりませんが、こういったことを決して認めようとしない人間がいます。

これはどうしてなのでしょうか…?
なぜ、わざわざそういったものとの相違点を見つけ出し、それを声高に叫ぶ必要があるのでしょうか…?

私が思うに、これには二つの理由があると思います。
ひとつは、本人自身が「本のようにはいかない」と思いたがっているということ。
そしてもうひとつは、承認欲求が強く自分を特別な存在と考える性格です。

とはいっても、本人がそれに気付いているかどうかはまったくの別問題ですし、たぶん気付いていないと思います。


「私には当てはまらない、私は特別」

こういったタイプの人間は、承認してもらいたい気持ちが強い一方で、自分が理解されるのを非常に嫌う傾向にあるように感じます。以前にもどこかで触れたような気がしますが、こういった人間にとっては自分の気持ちを理解されてしまったら終わりです。ですから、たとえどんな状況になったとしても自分は違うという部分を残そうとします。
なぜなら、そういった逃げ場を残しておかないと、立ち直っていく人間と比較された時に、いつまでもそうしている言い訳ができなくなりますから。
そしてそれはそのまま、悲嘆に浸る居心地の良さが妨害されるということを意味します。

しかし、自分を特別視するだけならまだしも、他のことや、他の考えなどを拒絶する姿勢には少々問題があるように思います。というのも、世の中はとても広く、自分より優れた人間や優れた考え方、優れた方法などは自分が思っている以上にたくさんあるからです。
つまり、自分以外の人間やモノは、言ってみれば自分に多くのことを教えてくれる大切な存在なわけです。
そういったものを拒絶したり否定的な見方を続けたりする以上、いつまでも変わらないのは当たり前に思えますし、その姿勢が変わることのない苦しみを生む一因になっているような気もします。

ちなみに、こういった話を聞いたとしても、そういった人間はたぶんこう答えます。

「人それぞれだから、自分はそれで結構」

これは、「単に自分を変えることが怖くて逃げているだけ」なのかもしれません。
かつての私のように…

気を付けなければいけないのは、こうすることには何もメリットがないばかりか、周囲との間に二度と取り戻すことのできない決定的な差や亀裂を生み出しかねないということです。

なにも自分以外のすべてを認めろと言っているわけではありません。
ただ、プラスに感じることに関しては、相手がどんな人間やどんなモノであったとしてもきちんと受け入れられる人間でありたいものです。

そしてそういった柔軟性が、「苦しみから抜け出す一助」となるような気がします。

 

 

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